ディーノへの思い ー 前編

2022.05.19

『スクーデリア』というフェラーリ専門誌の最新136号で、うちの「ディーノくん」が表紙を飾ることとなった。

ディーノ君とともに僕も取材も受けたのだが、スクーデリアの意向として今回の取材記事とともに、24年前、1998年の富士スピードウエイでの事故の一か月前に寄稿された僕の記事を再掲載したいという。それで平井編集長自身が持ってきてくれた往時の自分の記事を読んでみたら、これがとっても面白かった。

ステアリングホイールを切ったときの独特の感触とか、アクセルを踏んだときの加速フィーリングとか、シフトチェンジ、クラッチミート、ブレーキングという一連の操作を完璧に連携させたときのディーノの反応とか、本当に細かいところまで書いてあった。

攻めた時の限界領域については「ディーノの限界領域は、突然崖が現れるのではなく、その手前に土手が盛ってあって、そこで乗り手は限界が近づいていることを知り、踏み止まることが簡単にできる。たとえ土手のてっぺんに登っても、その先は断崖絶壁ではなく、穏やかに海に向かって傾斜して下っている。だから乗り手はそこで踏み止まれば崖下に落ちることはない。(フェラーリと違って)ディーノは優しいのである」

ディーノを試乗した時のことが目に浮かぶ。ディーノに乗ると、あぁ、こんなにも豊かな気持ちになれるのか。忘れていた当時の興奮がリアルに湧き上がってきた。

ディーノくんは長くレストアしてきて、あとはエンジンを載せるだけの状態で仕事の忙しさにモチベーションが途切れ、実はまだ作業が完了していない。しかし往時の自分の記事を読んで一刻も早くディーノを完成させて運転したくなった。

それにしても自分が書いた文章を読みながら昔の自分に感心してしまった。この後にフェラーリとディーノの違いに触れ、両者の立ち位置を再考している。自分で自分が書いた気がしない。昔の自分は感性が豊かだったのだな、とうれしくも残念な気持ちが入り混じる。

この記事を読んだ人は、きっとディーノが欲しくなるに違いない。

~後編につづく~