土屋春雄さんのこと ~太田哲也の Go Go スポーツカー ~

2021.06.04

日本のモータースポーツを支えてきた先達が4月11日に天に召された。

1971年にレーシングガレージの「つちやエンジニアリング」を設立し、代表でありながら、メカニック、チューナー、エンジニア、そして、レーシングチームの監督として活躍した土屋春雄さんが76歳で亡くなったのだ。

僕がまだ20代の半ばで、プロに成り立てだった頃に、つちやエンジニアリングのドライバーとしてお世話になっていた。その当時ドライブしていたのは、グループAのアドバン カローラFX。

フォーミュラカー主体でやってきた僕は、FFのハコ車をレースでドライブするのは初めてで、あまりにも違う挙動に戸惑っていた。サーキット走行用にセットアップされたFFのハコ車は、フロントのLSDがバキバキよく効いて、足もガチガチに固く、アンダーステアが強いのかと思ったら、アクセルオンでグイグイ曲がってくれる。ハンドルがとても重くて、キックバックが凄かったな。ストレートでボンボン跳ねるし。

 

フォーミュラカーは、スピードが上がれば上がるほどダウンフォースが効くので、体感的にはハコ車の3倍速いぐらいのスピード感で走っている。できるだけ速くコーナーに入り、できるだけ速くコーナーを駆け抜けるような走り方をしていた。でも、ハコ車は車重が重いので、しっかりブレーキングをして、クルマの速度を落とす必要がある。スローインファーストアウト的要素がフォーミュラより大切だ。

 

だから最初、ハコ車に乗ったときに進入スピードが速過ぎ、さらにアクセルをガンガン踏んでしまうからタイヤが早めに傷んで垂れてしまう。そこを土屋さんは丁寧かつ具体的に教えてくれた。早いタイミングで、フォーミュラカーとハコ車の運転が違うことを理解できたのは良かったよ。若手の頃は、その両方のドライブスタイルが混ざって訳が分からなくなってしまいがちだからね。

 

耐久レースも僕は初めての経験で、先輩のチームメイトと競争するな!って怒られたっけ。チームメイトが一番の敵になってしまい、口をきかなくなると情報交換しなくなって、全くいいことがないからね。若かったから、とにかく先輩を負かしてやろうと思っていたんだ。プロに成り立てだったこともあって、速けりゃ褒められると思っていた。多くのプロドライバーを見てきた土屋さんだからこそ、それじゃあダメだってわかっていたんだね。

土屋さんから言われた言葉は、今でもよく覚えていて、その後のレース人生で大きな財産になったのは間違いない。そういえば、土屋さんは昼夜を問わず、ずっとレーシングカーを造っていて、ボルトの頭を削っては「よし、今日は100g軽くなった」とか言ってたな。コツコツコツコツ、色んなところを工夫して、レーシングカーを造っていたんだよね。あの人柄だから、みんな応援したくなったんだろうね。

 

往時に、こんなこともあったな。つちやエンジニアリングはレースのときに大部屋で泊まることが多く、ある時、ん???寝苦しいぞ!と思って起きてみたら、息子の武士(中学生)くんの足が僕の上に乗っていたことがあったな。そんな武士くんも、今やスーパーGT GT300クラスに参戦しているHOPPY team TSUCHIYAを率いる監督で、つちやエンジニアリングの代表だから、土屋武士さんって呼ばないといけないね。

 

武士さんによると、父親の遺言は「オレが死んでもレースに穴を開けるな」というものだったらしい。合掌。